企業規模が拡大し、取引先や従業員数が増加するにつれて、経営層の目が届かない業務領域がどうしても生まれてきます。その中でも特にリスクが高いのが「購買業務」です。
購買部門は、外部への資金流出の接点であり、物品やサービスの選定権限を持つため、構造的に不正やミスが発生しやすい土壌があります。しかし、多くの中小・中堅企業では、創業期からの慣習で「性善説」に基づいた運用が続けられていたり、承認フローが形骸化していたりと、内部統制(ガバナンス)が十分に効いていないケースが散見されます。
ひとたび不正が発覚すれば、金銭的な損失だけでなく、社会的信用の失墜という取り返しのつかない事態を招きかねません。健全な経営を持続させるためには、人の意識に頼るだけでなく、「不正ができない、ミスが起きない仕組み」を構築することが急務です。
本記事では、購買業務に潜む具体的なリスクと、それを防ぐための内部統制の要諦、そしてシステム(ERP)を活用した高度なガバナンス強化の手法について、経営視点で詳しく解説します。
この記事で分かること
企業の内部統制において、販売プロセスや財務報告プロセスと並んで重要視されるのが「購買プロセス」です。なぜ購買業務の統制がこれほどまでに重要視されるのか、その背景と理由を解説します。
企業活動において、購買業務は「会社の資金が外部へ出ていく」主要な出口です。
数千円の消耗品から数億円の設備投資まで、多額の金銭が動くプロセスであり、かつサプライヤー(取引先)という外部の利害関係者が関与するため、癒着やキックバック(リベート)、横領といった不正の誘惑が生じやすい特性を持っています。
一般社団法人日本公認不正検査士協会(ACFE)の調査などでも、社内不正の多くが購買・調達部門に関連していることが報告されており、経営リスク管理の観点から最優先で対策すべき領域と言えます。
成長企業がIPO(新規上場)を目指す際、監査法人や証券会社から厳しくチェックされるのが購買プロセスです。
これは、架空発注による利益操作(費用の先送りや架空計上)の温床になりやすいためです。投資家保護の観点から、企業の財務諸表が適正であることを担保するためには、支出の根拠となる購買プロセスが透明かつ適正に運用されていることが絶対条件となります。
上場を目指さない企業であっても、金融機関からの融資や大手企業との取引において、ガバナンス体制の整備は信用力の証となります。
創業期や小規模な段階では、「従業員は全員信頼できるメンバー」であり、性善説に基づいた運用でも問題が起きることは少なかったかもしれません。
しかし、組織が拡大し、担当者が増え、経営層と現場の距離が離れてくると、性善説だけでは統制が効かなくなります。悪意を持った人間が入ってくる可能性もありますし、長年の担当者が魔が差す瞬間があるかもしれません。
「うちは大丈夫」という過信を捨て、組織のフェーズに合わせて「人を疑うのではなく、リスクを管理する」仕組みへと転換する必要があります。
内部統制を構築するためには、具体的にどのようなリスクが存在するのかを知る必要があります。購買業務において発生しやすい4つの代表的なリスクについて詳述します。
購買担当者が特定のサプライヤーに対して、便宜を図る見返りに金銭や物品、接待などを受け取る不正です。
実体のない取引を捏造し、会社の資金を詐取する不正です。
担当者が承認権限を超えて、独断で発注を行ってしまうリスクです。これは必ずしも悪意があるとは限りませんが、ガバナンス上の重大な問題です。
不正ではありませんが、業務プロセスの不備やヒューマンエラーによって発生するリスクです。
これらのリスクを回避し、健全な購買業務を実現するためには、どのような対策が必要でしょうか。ここでは、内部統制を強化するための6つの実務的なポイント(要諦)を解説します。
内部統制の第一歩は、ルールの明文化です。「購買管理規程」を策定し、購買業務に関する基本的な方針や手続きを定めます。
内部統制において最も重要な原則の一つが「職務分掌(Segregation of Duties)」です。これは、一つの業務プロセスを複数の担当者に分け、相互牽制を働かせる仕組みです。
特に購買業務においては、「発注担当者」と「検収担当者」を必ず別の人物にする必要があります。
サプライヤーの選定が担当者の「さじ加減」で決まる状態は、癒着の温床となります。選定プロセスを透明化し、客観的な根拠を残すことが重要です。
誰が、いつ、何を承認したかを確実に管理するために、承認プロセス(ワークフロー)を厳格化します。
支払いの正確性を担保するための基本動作が「3点照合(3-way matching)」です。経理部門が支払いを行う前に、以下の3つの書類(データ)の内容が完全に一致しているかを確認します。
ルールを作っても、運用されなければ意味がありません。定期的に運用状況をチェックします。
前述の6つの要諦を、Excelや紙、ハンコといったアナログな手段で実現しようとすると、多くの企業が限界に直面します。アナログ管理がなぜ内部統制を阻害するのか、その理由を解説します。
Excelで作成された比較表や発注管理表は、誰でも簡単に書き換えることができ、しかも「いつ、誰が、何を書き換えたか」という履歴(ログ)が残りません。
「承認後にこっそり金額を変える」「日付を操作して辻褄を合わせる」といった改ざんが行われても、後から追跡することが極めて困難です。これでは、監査において「データの信頼性」を証明することができません。
紙の稟議書や注文書にハンコを押す運用では、物理的な書類が回るのに時間がかかり、業務スピードが低下します。
その結果、「急ぎだから」と承認なしで電話発注が先行したり、後からまとめてハンコを押す「スタンプラリー」状態になったりと、承認行為が形骸化しがちです。また、承認者が不在の場合に代理でハンコを押すといった運用も発生しやすく、誰が本当に承認したのかが曖昧になります。
発注データは購買部門のPC、検収データは工場の紙台帳、請求書は経理部門のバインダー、といったように情報が分断されていると、「3点照合」を行うために膨大な手間がかかります。
経理担当者がいちいち各部門に電話で確認したり、書類を探し回ったりする必要があり、チェックがおろそかになる原因となります。また、月次決算の締め作業も遅延し、タイムリーな経営判断を阻害します。
アナログ管理の限界を乗り越え、効率的に内部統制を強化するための最適解が、「ERP(Enterprise Resource Planning:統合基幹業務システム)」の導入です。
ERPは、企業の基幹業務データを一つのデータベースで統合管理するため、人の意識や努力に頼らず、「システムによって強制的に統制を効かせる」ことが可能になります。
ERPには電子承認(ワークフロー)機能が組み込まれています。
ERP上では、発注データ、受入(検収)データ、請求データが全て紐付いて管理されています。
請求書が届いた際、システム上で伝票番号を入力するだけで、過去の発注・検収データと自動的に照合が行われます。もし金額や数量に不整合があれば、システムがエラーを出して支払処理に進めないようにブロックします。
これにより、目視確認のミスをなくし、架空請求や二重払いをシステム的に防止できます。
かつてERPは大企業向けの高額なシステムでしたが、現在はクラウドベースの「SaaS型ERP」が主流となり、中小・中堅企業でも導入しやすくなっています。
内部統制の観点でのSaaS型ERPのメリットは以下の通りです。
購買業務の内部統制を強化するにあたり、経営者や実務担当者からよく寄せられる質問とその回答をまとめました。
はい、必要です。人員が少ない場合、一人が複数の業務を兼務せざるを得ないこともありますが、「発注」と「検収」、「発注」と「支払」といった利益相反する業務を同一人物が行うことは避けるべきです。どうしても兼務が必要な場合は、上位者によるダブルチェックを徹底するなど、代替的な統制手段を講じる必要があります。
内部統制の観点では、全社のデータが連携している「ERP」の方がより強力です。購買管理システム単体の場合、会計システムとのデータ連携部分で手作業(CSV連携など)が発生し、そこでデータ改ざんやミスのリスクが残るためです。ERPであれば、購買から支払、会計仕訳までが一気通貫で繋がり、整合性がシステム的に担保されます。
アナログな手法で統制を強化しようとすると(書類の枚数を増やす、ハンコを増やす等)、確かにスピードは落ちます。しかし、ERPなどのシステムを活用すれば、承認フローの電子化や自動チェック機能により、むしろ業務スピードは向上します。「統制強化」と「効率化」はトレードオフではなく、システム化によって両立可能です。
「発注時の単価と請求時の単価が違う(後から値引きが入った等)」「分納や一部返品があった」といったイレギュラー処理が原因であることが多いです。これらの変更履歴を正しくシステムに入力・修正する運用ルールが徹底されていないと、照合エラーが頻発します。システム導入と合わせて、業務ルールの標準化が必要です。
データ分析の観点からは、「特定の担当者と特定のサプライヤーの取引が突出して多い」「端数調整のような不自然な金額の発注が続いている」「承認権限額ギリギリの発注(分割発注の疑い)が多い」「休日にデータ入力が行われている」などが兆候として挙げられます。ERPのログやレポート機能を活用して、こうした異常値をモニタリングすることが有効です。
購買業務における内部統制は、不正やミスを防ぐ「守り」の活動であると同時に、取引先や投資家、金融機関からの信頼を獲得するための「攻め」の基盤でもあります。
健全で透明性の高い購買プロセスは、優良なサプライヤーとの信頼関係を深め、結果としてより良い条件での調達や、コスト競争力の強化につながります。
しかし、これらをマンパワーと精神論だけで維持するのは限界があります。成長企業においては、ERPを活用して業務プロセス自体をデジタル化し、人の手に頼らない「自動的な統制」を効かせることが、ガバナンスと業務効率を両立させる唯一の道です。
「うちはまだ大丈夫」ではなく、「成長する今だからこそ」足元の仕組みを固める。その決断が、企業の持続的な発展を支える礎となるでしょう。