原材料価格の高騰、為替の乱高下、地政学リスクによるサプライチェーンの分断、そして脱炭素をはじめとするサステナビリティへの要請――。企業を取り巻く調達環境は、かつてないほど複雑化し、不安定になっています。
かつてのように「決まったものを安く買う」だけの受動的な購買活動では、企業の利益を守り抜くことはおろか、事業継続すら危ぶまれる時代となりました。いま、成長企業に求められているのは、現場任せの「購買」から、経営視点に基づいた「戦略的調達」への転換です。
本記事では、調達戦略の定義や重要性、策定に役立つフレームワーク、そして戦略を絵に描いた餅にせず、確実に実行するためのシステム基盤(ERP)について、経営層および経営企画部門の方々に向けて詳しく解説します。
この記事でわかること
「調達戦略」という言葉を聞いたとき、単なる「値引き交渉の計画」や「仕入先のリストアップ」をイメージしていないでしょうか。まずは言葉の定義を明確にし、なぜ今、経営層が調達に深く関与すべきなのかを解説します。
調達戦略とは、企業の経営目標(利益最大化、事業継続、ブランド価値向上など)を達成するために、必要なリソース(モノ・サービス)を「どのサプライヤーから」「どのような条件・関係性で」「どのような手法を用いて」調達するかを定める中長期的な方針のことです。
その目的は、単なる購入価格の低減(QCDの最適化)だけではありません。技術革新の取り込み、サステナビリティへの対応、そして供給リスクの最小化を含めた「総合的な企業価値の向上」を目指す点に本質があります。
実務の現場では混同されがちな「購買」と「調達」ですが、戦略的な観点では明確に区別されます。
調達戦略を策定するということは、日々の「購買」業務を、経営に直結する「調達」へと昇華させるプロセスでもあります。
特に成長企業において調達戦略が重要視される理由は、大きく2つあります。
現代の調達戦略は、単なる安値追求だけでは成り立ちません。経営層は、以下の3つの視点のバランスを取る「最適解」を見つけ出す必要があります。
「購入単価」を下げることは重要ですが、それだけでは不十分です。物流費、在庫保管費、品質不良による廃棄ロス、発注にかかる管理コストなどを含めた「TCO(Total Cost of Ownership:総保有コスト)」の視点で判断する必要があります。
例えば、単価が安い海外調達であっても、輸送費やリードタイムの長さによる在庫リスクを考慮すると、国内調達の方がTCOは安くなるケースもあります。
地政学リスクや自然災害に備え、サプライチェーンのレジリエンス(回復力)を高める必要があります。
環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)への配慮は、もはや企業の義務です。CO2排出量の少ない部材の選定や、サプライヤーの人権問題(強制労働など)に対するデューデリジェンスが求められます。
「安いが環境負荷が高い」サプライヤーを選定することは、将来的なブランド毀損や取引停止のリスクに直結するため、ESGを考慮した選定基準の策定が不可欠です。
複雑な状況を整理し、客観的なデータに基づいて戦略を立案するために、グローバルスタンダードとなっている3つのフレームワークを紹介します。
1983年にピーター・クラルジック氏(Peter Kraljic)が提唱した、最も有名な調達ポートフォリオ分析の手法です。「利益への影響度(購入金額の大きさ)」と「供給リスク(代替の難しさ)」の2軸で、調達品目を以下の4つのカテゴリーに分類し、それぞれに適した「カテゴリー戦略」を立案します。
マイケル・ポーター氏が提唱した業界環境分析のフレームワークを、調達市場に応用します。
これらを分析することで、サプライヤーに対して強気に出るべきか(価格交渉)、協調路線を取るべきか(安定確保)のスタンスを明確にします。
内部環境(自社の調達部門のリソース、スキル、システム基盤)と、外部環境(市場トレンド、法規制、技術革新)を掛け合わせ、自社の立ち位置を可視化します。
フレームワークを用いた分析結果を基に、実際に戦略を策定し実行に移すまでの手順を4つのステップで解説します。
戦略策定のスタートラインは、現状の可視化です。「何に(品目)」「誰から(サプライヤー)」「いくらで(単価・総額)」買っているのかを正確に把握する「支出分析(Spend Analysis)」を行います。
また、既存のサプライヤーに対して、品質・コスト・納期・経営安定度・ESG対応などの軸で「サプライヤー評価」を実施します。ここで重要なのは、各部署に散らばっている「購買データ分析」を一元的に行うことです。データが散在している状態では、正しい現状認識ができません。
Kraljicマトリックス等の分類に基づき、カテゴリーごとの具体的な戦術を落とし込みます。
現代の調達戦略において最も重要なのがSRMです。SRMとは、サプライヤーを単なる「取引先」ではなく「ビジネスパートナー」と捉え、双方の利益を最大化するための関係管理手法です。
「誰が」「いつまでに」やるのか、ロードマップを策定します。
戦略の進捗を測るためのKPI(コスト削減率、納期遵守率、グリーン調達比率など)を設定します。また、戦略を実行するためには、従来の事務処理中心の組織から、バイヤーが交渉や市場分析に集中できる体制(CPO設置やバイヤー育成)への変革が必要です。
どれほど優れた戦略を策定しても、日々の業務でデータに基づいた実行とモニタリングができなければ、それは「絵に描いた餅」に終わります。ここで重要になるのが、戦略実行の基盤となるシステムの存在です。
多くの企業で調達戦略が失敗する最大の原因は、データが整備されていないことにあります。
このような環境では、支出分析を行うために膨大な時間を要し、迅速な意思決定ができません。また、発注のログが残らないため、「購買内部統制」の観点でもリスクが高まります。
まず、戦略実行の足元を固めるためには、日々の発注・受入業務をデジタル化し、データを蓄積する「購買管理システム」の導入、あるいはその機能を持つシステムの活用が不可欠です。
しかし、単独の購買管理システムを導入するだけでは不十分なケースがあります。調達データが会計システムや在庫管理システムと連携していなければ、データの二重入力やタイムラグが発生し、全社的な経営判断に遅れが生じるためです。
こうした課題を解決するのが「ERP(Enterprise Resource Planning)」です。
ERPは、調達、在庫、生産、販売、会計などの基幹業務データを一つのデータベースで統合管理します。ERPの購買機能を活用することで、以下のようなメリットが生まれます。
かつてERPは大企業向けの高額なシステムでしたが、近年はクラウドベースの「SaaS型ERP(購買管理クラウド)」が主流となり、中堅・成長企業での導入が進んでいます。
調達戦略を実行する上で、SaaS型ERPには以下の利点があります。
調達戦略の策定や見直しにおいて、経営者や担当者が抱きがちな疑問に回答します。
基本的には年に1回、事業計画の策定に合わせて見直すのが理想です。ただし、原材料価格の急激な変動や地政学リスクの発生など、外部環境に大きな変化があった場合は、期中であっても柔軟に修正する必要があります。SaaS型ERPなどを活用し、常に最新の購買データをモニタリングできる環境があれば、迅速な修正が可能になります。
「透明性」と「双方向のコミュニケーション」です。一方的な値下げ要求や納期短縮の強要は、長期的な関係を損ないます。自社の事業計画や需要予測を早期に共有し、サプライヤー側の課題もヒアリングしながら、共にコスト削減や品質向上に取り組む姿勢が重要です。
はい、企業の規模に関わらず有用です。むしろリソースが限られている中小企業こそ、「どの品目に注力すべきか」「どこを効率化(間接材調達など)すべきか」という選択と集中を行うために、こうした分析が不可欠です。簡易的でも良いので、自社の調達品を分類してみることをお勧めします。
単価の引き下げ(価格交渉)には限界があります。次のステップとしては、設計部門と連携した「仕様の見直し(VE:Value Engineering)」や、発注頻度・ロットサイズの最適化による物流コスト削減、あるいは業務プロセスの自動化による「管理コスト(プロセス自体のコスト)」の削減に目を向けるべきです。
調達業務の高度化と同時に、全社的な経営数値の見える化を目指すのであれば、財務・会計・在庫と連動する「ERP」が推奨されます。一方で、特定の資材(例:化学物質管理が必要な原材料など)に特化した深い機能が必要な場合は、専用の「調達管理システム」を導入し、ERPと連携させる形が望ましいでしょう。重要なのは、データが分断されない構成にすることです。
調達戦略は、単なる現場の業務改善プランではありません。それは、企業の利益構造を変革し、予測不能なリスクから事業を守り、将来の成長を支えるための重要な経営アジェンダです。
Kraljicマトリックスなどのフレームワークを用いて自社の調達状況を客観的に分析し、「カテゴリー戦略」や「サプライヤー管理(SRM)」といった具体的な施策に落とし込むこと。そして、それらを属人的な努力ではなく、ERPという強固な「データ基盤」の上で運用し続けること。これが、変化の激しい時代を勝ち抜くための鍵となります。
まずは自社の購買データを可視化し、現状の立ち位置を知ることから、調達戦略の策定を始めてみてはいかがでしょうか。